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 エッセイコーナー

 論文コーナー 2000年からの論文をここで読めます (2001年10月31日up)

   ご意見・ご感想ご忠告は下記へ  どうぞ

   e-mail: mkimura@educ.kumamoto-u.ac.jpまで

 

過去の日記を読みたい方はここ

 

 

 

5月26日

 構内はむせるような新緑です。雑草も背丈ほども伸びて学部の清掃もそろそろ開始しないと、客人に失礼にあたるでしょう。春ヒメジョオンが満開です。前に大阪ののスナックに行ったとき、大きな瓶にヒメジョオンの投げ入れを見ました。そのとき、その清楚さと可憐さにうっとりしたことを思い出しました。雑草も使い道はあるものです。先々週の週末は保護者会、先週は土日が合宿研修と休みがなかったので、疲労の海にどっぷりと浸かることになってしまいました。どんな風にすれば癒されるのかその手だても思いつかない。遅い夕暮れが迫ってきてアルコールに身を委ねることしか手がないといった、なんとも不謹慎な状態です。度を超せば次の日がきついに決まっている、それでも一時の酔いの快感に任せて杯を重ねる悪い習慣が戻ってきている。これはもうこのままいけば破滅へまっしぐらということかーーーー。気温は28〜29度に上がっているのに乾燥していて少しも不快でなく、爽快な5月の風を受けながら、健康な再生へ向けて始動せねばならないと気だけは焦っております。ゆっくり時間をかけてホームページを書いていくというのも、一つの解決策ではないかとおもっているのですが。 

4月14日

 桜が散って、研究室の前の銀杏が一斉に芽吹き始めた。今年はなんと遅いことだろう。芝は伸び、スカンポは穂をつけ始めた。日中の気温は真夏日近くまで上がり、日射しに当てられるとじっくりと汗をかく。暑い季節がまた巡ってくる。新年度は着実に動き始め、多忙を極めた生活がまだ軌道に乗らない。精神と身体に奇妙なずれを生じ、睡眠が足りなかったり、これは中途覚醒のためだが、両肩の凝りが文字通りずきずきと痛む、肩の痛さは尋常ではなく、折節に眉をしかめるほどだ。今日、教員採用試験の模擬試験を実施する。当学部の教官のオリジナル問題による模擬試験は始めての試みである。120名以上の学生が受験した。これは大學でやったあらゆる試みの中でも最も多くの参加といえる。さい先の良い、就職支援の第1回であった。 

4月11日

平成17年度が開始しました。ホームページを3ヶ月全く更新しませんでした。佐世保市で6年生の児童がネットによる同級生殺人をやったというこの1事がトラウマとなって、ホームページから遠ざけることになりました。その後も、同勤の教官がネットの掲示板で中傷されるという件が発生して、ネットに向かうのが嫌になっておりました。そういったツールに向かうことに忌み嫌うような感覚が発生していたのです。これではいけないと思いながらも、事態は少しも好転しません。この事は文章にしたいという欲求が起こっても、誰かにちゃんと伝えることが大事だという気持ちになってしまうのです。構内のそめいよしのも昨日の雨で大方散ってしまいました。土曜日の課程の対面式は満開ですばらしい花の中で行えました。さい先がいいというものでしょうか。道すがら垣根の花を見てきました。早咲きのチューリップはもう散っていました。雪柳が咲き、八重の山吹も咲いていました。これから咲く花々も楽しみの一つです。 

12月28日 

 つらいことが重なって少しもいい方に向かわない。幾層にもこんがらがっているらしく、対策が見えてこない。こういう風に追いつめられて、精気すらなくなっていくのだろうか。人は皆、性善説からすると善人のはずである。しかし、そうではないこともよくわかっている。その根元を絶つ意味で、差配したとしても結局はうまくいかないだろう。地道に生活人として行動しても、常識は通らないだろう。鈍色の冬の空に、ひよがけたたましく鳴いた。

12月27日

 光の粒が両手からこぼれそうになって、いとおしくすくい上げるように、雲の間から日の光が現れる。冬の冷たい風の中で、赤外線のほんの少しの熱をもこぼさないように受け止めている。コートの襟を立てて、口を真一文字に結んで、ズックを確かに踏みしめながら歩いているのに、耳は切れるように痛む。こんな寒風の中を歩いていたのでは、後できっと障害が出るだろう。でも、過酷に歩くことはすぐに根気が続かなくて止めてしまうのだろう。暖房の中に逃げ込んで、背を丸め、うつろな目を泳がせながら、ほんの数日先のことを考えている。遠い未来の夢などは、ばからしくなって考えなくなった。、むさぼるようにこうして日々を過ごしながら、自分の中のことよりも、この世の中で起こっていることを細大漏らさず吸収しようとしている。NHK のBS がニュースを忠実にやるようになったので、これは前から望んでいたことなのだが、朝な夜な、そして昼間もニュースに余念がない。こういうのをニュース中毒というのだろう。この中毒症に頭のてっぺんから足の先まで浸かってしまって身動きすらできない。この病に明日はあるのだろうか。

12月2日

 師走を迎えた。インターネットの後遺症から抜け出ていない。ネットを否定しながら日々の生活はそれなしではやっていけない。何という矛盾であろう。教室は暖房が入り始めた。南向きの研究室は低い冬の日光の直射を受けて、気温がぐんぐんと上がる。遂に冷房を入れなくては過ごせないことになった。何という矛盾であろう。紅葉がやっと里へも下りてきた。構内の木々は今が紅葉の盛りである。風情よく茂った紅葉や楓を一本一本鑑賞している。昨月紅葉を観に出かけたが余りいい状況ではなかった。半分あきらめて帰ってきたものである。その分フォーカスを定めて構内を巡り日本の今年の秋を満喫したい。 

11月26日

 13夜の月を見ながら狂気に走る青年の心理を考えていた。トリガーは一寸したことでいいのである。両親や或いは姉も一緒に惨殺した青年たちは自分の深い心の闇に懊悩していたに違いない。撲殺しながら脳漿の飛び散る様に我を忘れて自分のしている仕事に没頭したのだろうか。後の青年の犯罪は前の青年の次の日である。その日のマスコミの報道がトリガーになったのだろうか。前の青年は犯行の前に4時間もインターネットに没頭していたという。多分ムスリムのテロの首切りをネットで見ていただろう。しかし、自分の仕事はあれほど手際よくはいかなかっただろう。テロのそれは専門集団の仕業である。でも、頭部や顔面が粉々にちぎれていく様は、ネットで見た首切りとよく似ていて不思議な感覚に陥らせただろう。2人の青年の凶行はネット上で、バーチャルに既に彼らには体験されていたことだったのだ。肉親への憎しみは激しい殺意となって彼らを行動へと駆り立てた。その殺意こそ、長い年月、不登校から引きこもりへと移行していった過程の中で醸成されていったものだったのであろう。つぎつぎに起こるであろう狂気に、いい手だてはない。次の、13夜の月がせめて群雲に隠れて輝かないように祈るばかりである。

11月19日

 朝靄の中に住宅が煙っている。俯瞰するように眺めることができるのだから多分、列車の車窓からの眺めなのであろう。朝露に濡れた小道を通勤している徒歩の男の姿が見える。通りの角には鮮やかな色彩の私服に身を包んだ小学生たちの会話がはじけている。どこかで見たデジャヴウの感覚に襲われる。車がのろのろと渋滞をつくりながら進んでいる。いつもと変わらない朝の風景が広がっている。時はゆく秋の頃となった。文章を綴ることをしなくなって、ずいぶんと時間が経ったように思える。日本人旅行者の香田氏が首を撥ねられる光景をインターネットで見てからページを更新する意欲がなくなった。この感覚はどこから来るのだろう。インターネットの不気味さが首の回りに張り付いて離れない。原油を海にまき散らした輸送船の船体にまとわりついた黒いタールのように身体全体を苛んでいる。あれから好きでもない温泉に幾度か行って、身を清め、足を伸ばし、ぬるぬるとした湯で関節の隅々まで洗ったのだがまとわりついたものは落ちない。多分心の澱は幾年も落ちることはないのだろう。今、自分は軽い鬱の状態になっているのではないか、そういう疑念が起きるほどに文章を書くことの楽しさが戻ってこない。こんな時は旅行でもするのが一番いいのだが、その暇はない。青い空を、どこまでも青い空を見上げながら、昨日のどんよりとした曇りの日が、今の自分にはあっているのではないかと思ったりしている。 

10月26日

 昨日の昼から時雨れてきた。今日は時々強い雨足となった。暗い空からあめ滴が落ちる。多分冷たい雨だろう。この雨はあの地震地ではどんな風に取られているだろう。恐ろしい土石流のイメージかも知れない。しっとりと降る10月の雨は怒り狂う、荒ぶる心を静める雨かも知れない。寂しい雨の感覚がまとわりつくように襟筋から離れない。どこまでも暗い雨雲がふさぎ込みそうな心に拍車をかける。 

10月25日

 台風の影響だろうか、構内のキンモクセイの花が盛りである。いつもみる秋の山吹も咲いていた。土曜日に起きた中越地震をずっと見ていた。刻々と明らかになる被害の状況や、リアルタイムで知らされる余震の状況が生々しく、引き込まれてしまう。時々民放に変えてみることもあったが、インタビューや現地報告がユニークなものもあった。直下型の地震は経験することはないであろうが今はこうして疑似体験できるのである。次の日の朝からヘリコプターの映像が入り始めた。俯瞰的にとらえた映像はより総合的に地震全体を素描してくれる。これらのことすべてを頭の中にとらえていけば全体像が浮かび上がってくるというわけだ。被害の状況も、何が予防として大事かもわかってくる。現代はその情報量はすごいものがあると一人感心しているのである。 

10月18日

 台風が3度も来たので、銀杏の葉も縁がやられてしまい茶色に変色して今年はすばらしい黄色への紅葉は見られないだろう。稲も随分倒れてしまって、穂先が泥についた部分は、芽が出たりして収穫に随分影響が出ている。先日Mの新築を訪れた。130坪弱の敷地に建坪70数坪はあるという洋館であった。ジャグジーの大きな湯漕に腰窓から坪庭が望めた。1階にはとてつもない広い2段構造の濡れ縁がしつらえてあった。理想の建物を建てたという自負がみられた。人は何を目指して生きていくかというときにいつもある部分を占めるのが持ち家の建設である。快適に住むというより、理想の建物で住むというコンセプトなのである。狭い自宅のアパートに帰ると、数枚の服で足の踏み場もない。おおらかな精神は発揮できるスペースといえるだろうか。

10月14日

 数名が固まりをつくってあるものはけたけたと、あるものは忍び泣きのようなしわぶきを立てて、下卑た笑いを発する。確かに嘲笑しているのだということをひけらかしたいのだろう、そういう意図が読みとれる。T氏が、いやですねーこんな場にあんな風に笑ってーーーと眉をしかめて耳打ちをする。心あるものは不愉快な感じを受けているに違いない。そうした行為が自分たちをして、会全体の品格を落としているのだということに気づかないのであろうか。自分たちだけが優位に立っている、ロジクスを通しているのだということを見せつけたい手段としては余りに幼稚で、品位にかける行為ではないか。会全体が白々としていき時間ばかりが経っていく、鬱屈した感情のもって行き場がない。自分は今何をすべきかという前向きの思考すら次第に死んでいく。 

10月11日

 Sは毎日平均450人の外来患者を診るという。最高は580人で400人を下ったことがないそうである。車で1時間半くらいにところからも訪れる。昼食は約10分、医師会報や新聞も事務があらかじめ目を通して必要な箇所に付箋を貼って持ってくる。最小限の時間を使うための手段である。すごいところは土曜日も午後7時まで診療を欠かさないというところである。患者捌きの極意を見てみたいと思った。健康法は週に2〜3回早朝に河原で打ちっぱなしをやることと犬の散歩、そして内ポケットから10種類以上の内服薬を見せてくれた。ちいさな仕切られてトレイの中に錠剤やカプセルが整然と並んでいる。朝昼晩や時間毎などにつぎつぎに飲めばいいようになっている。Sはこれが健康法の最重要なものですよと自虐的に笑った。還暦まで後一寸まで来て忙しさは、さらに勢いをつけてくる。他人に手荒なことが全くできないSにとって、毎日は端から見ると煉獄のように見える。少しでも楽をさせてあげたい、この繁忙を理由に死なないでほしい、66名のSを支えるスタッフの切ない願いである。

10月1日

 台風にたたられて3日いけなかったことで I小学校の授業は最後になった。5年生の教室に午前中ずっといた。子どもたちの意識の流れが読みとれるようで貴重な経験になった。国語の作文に集中できない子どもは身を持て余している。イスを半分浮かせながら鉛筆を転がしたり鼻くそをほじくったり、消しゴムをくわえたりしている。我慢ならなくなると鉛筆を削りに行く。その仕草はかわいそうなほどで、多分毎日がこういったことの繰り返しなのであろう。開け放たれた2階の窓から銀やんまが飛び込んできた。大きな扇風機の後ろにとまった。ああ、交尾をしている、男の子が少し下卑た声を上げた。数人の子がにやにやと笑い始めた。5年生という時期は生殖行為がはっきりと認知できるのである。その事がいやらしいことであることも認識できるのである。元気のいいクラスで自分のことを皆の前で発表してもらったが、意外にシャイな面を見せスムーズに行かない。思春期前期のはにかみで、身体の発育は認められないのに、こころは大人へと移行し始めているのだろう。 

9月30日

 今年は3つの台風が上陸した。昨日の21号は前回と比べ勢いがそれほどでもなかったが、前にやられていたらしい大きな枝が折れているところもある。結局景観まで変えるといった大きな痛手が出た。今日は、気温は下がってやっと凌ぎやすくなった。このまま秋に移行してほしい。もう、うだるような暑さは勘弁してほしい。また悩ましい卒論作成の時期に入った。アンモチベイティッドスチューデントが今年は何人もいるような状況になってきた。意識が卒論に向いてない状態である学生が散見される。毎年、毎年この類の学生に悩まされ続けてきた。他力本願の学生は卒業する資格など無いと切り捨ててしまっていいのかも知れない。毎日クラブが忙しいです、今日はバイトです、明日は体の具合が悪いですーーーーー死ね。 

9月21日

 9月19日に熊大合唱団現役, OBのジョイントコンサートをやった。去年とは異なって曲の半分以上を常任指揮者に委ねることになって、練習は過酷になった。罵倒されている現役やOBを見るのは大変つらい。大学のクラブは高校まで全く経験していないものもたくさんいるから、曲の出来上がりには、異常に高い水準は望めないと思っている。真摯に努力していることを良しとしてほしい。OBについても忙しい本務を縫いながらの練習であるから、きてくれるだけでありがたいと思っている。企画者の一人としてそういうことが皆の前で全く述べられなかったし、雑言バリの盾になれなかったことでがっくりとしていた。演奏会当日は自分がぽしゃっていてどうする、と自分を鼓舞しながら通し練習に臨んだのである。果たしてソプラノとバスが槍玉になって罵倒される。臍を噛む思いで成り行きを見ている。悲しみとも悔しさとも区別の付かない感情に支配されて涙が落ちる。金輪際こういうことはやるまいと何度も心に誓った。クリエイティブな何かをやること、それは高価なことである、しかし自尊心をずたずたにされるやり方でやって果たして望ましい果実が得られるであろうか。現役の連中が自分たちだけのステージを生き生きとやってくれたことは救いであった。打ち上げで発言を求められたが、万感胸に迫って涙に暮れた。 

9月17日

 今年は残暑が厳しい。9月半ばになっても30度を超える猛暑が続いている。暑さに弱いものにとってはまさに地獄で、こういう中でずっと生活を強いられたら死んだ方が増しである。M町の I小学校で今週から授業を始めた。台風の影響で先週の2日間が停電が続いていて授業ができなかった。当初の各クラスでの2コマづつの授業は難しいかもしれない。I小学校は30代の半ばから40代の半ばの先生で占められていて、それぞれしっかりした理念を持って授業にあたっているという感がある。この中でライフスキルの授業をやっているが、子どもたちも子どもらしく元気に満ちあふれている。こんな中で毎日を過ごせたらきっと、いつまでも精神は老いないであろう。もっとゆっくり、ひとりひとりの顔が見えるところまで馴染んで授業がやれたらと思う。大学のスケジュールをぬっての授業では、十分でない。高学年、5年と6年にはもっと長く関われる形で授業をできないかと模索している。アイデアの一つはプロジェクト学習を立ち上げさせてもらって、週に1〜2回通いながら課題を完成させるという形式のものである。このアイデアはどうであろう。長くじっくり、子どもたちと関われるではないか。 

9月10日

 6日7日に台風18号が通過した。その時林間実習を阿蘇でやっていた。最大瞬間風速57メートルを記録するほどの風で、最も強かったのが7日の午前中であったから西向きの窓から2時間ばかり風を見ていた。実際は風にあおられる木々を見ていたのである。通路のガラスが割れ、大きな松の枝が見事に折れて落ちていった。壮観でもあったのである。風の息がごーっと鳴り、そこで息をつかずにさらに強いごーっといううなりに取って代われれる。それでも止まずに3陣、4陣のうなりが続くことになる。数十秒の風の吐息が、これでもかこれでもかと押し寄せる。広葉樹が枝ごと攪拌されたように切り揉みする。針葉樹は中心の枝から抹消がもぎ取られるように波打つ。その光景は見ていて飽きることがない。風は空気のうねりであるから見ることはできない。しかし、風に翻弄される木々は風の強さも、向きも見事に表現してくれるのである。強い風が吹くと決まって、風車(かざぐるま)を作ったものである。幼い時は作ってくれと大人にせがみ、小学校に上がると率先してつくって妹や弟に与えた。決まって古いハガキを使って作ったのである。風を見たいという、風に吹かれて、あわよくば風の中に入って身を投じたいという願望だったのであろう。

9月1日

 8月は大変忙しい月であった。ライフスキルのワークショップも24,25日の両日に実施した。今回は初参加者30数名、既習者20数名の参加であった。学力低下が叫ばれ、現場での研究の中心が学力の方へ向けられたからだと考えられる。スキル教育の未来を考えると楽観することはできない。多分いろいろな教育方法の一つとして埋没していくのではないかという危惧がある。確かな授業づくりの上に立ったスキル教育でないと現場で採用されていかないのではないか。ワンパターンのやり方を踏襲してそこから抜け出なければ、教師にもこどもたちにも魅力のない教育となってしまうだろう。パターナリズムに陥ることを最も恐れる。学校教育は子どもたちの理解と、教師の子どもの受容なくしては成立しない。教師と子どもたちの信頼関係が無いところでの授業は無意味である。その信頼をうち立てて始めて授業方法の選択になる。子どもをこんな風に伸ばそうという強い意志がない教員は何をやっても無駄である。

8月19日

 Kは小学校の時からの友人であった。高校では実業高校に進み関西の方に就職して出ていった。その時から会っていないので、40年ぶりということになる。Kは子どもの頃のように痩せていて、伏し目がちなまなざしは自信がなさそうにも見えた。しかし、中学校の頃Kは腕力も数倍優れた友人に真っ正面から刃向かったことがあった。心の強さを感じたものである。20歳の前半Kは前から生き甲斐と感じていた劇画のストーリー作者としての道を歩むことになる。「土佐の一本釣り」で有名な作者の工房に入ることになったのである。高知市に在住して自らの作品も作り始めたのである。しかし、Kの才能を高く評価するものは少なく、しばらくするとエロ、グロ漫画の制作に手を染めることになっていった。失意の中にいたとき「漫画から手を引けば結婚する」という意中の女性が現れ結婚することになる。様々な職を転々としながらの家長としての生活が始まった。しかし、劇画にかけた夢はふつふつとして、結局ある出版社の懸賞に応募することになる。見事に一席をとり、少年ジャンプへの連載が始まった。半年を過ぎた頃、出版元からもっと続けるためには居を東京に移して書くことに専念してほしいというオファーを受けたのである。郷里にいたKは妻との約束を破ることができずに、結局連載は中断されてしまう。それから数年、Kは悶悶の日々を送っている。台所の卓袱台の上でこそこそとストーリーをつむぎだす作業を続けている。長女は大学に行くといって、家を出て家からは一銭ももらわずに通学している。次女も今に家を出ていくだろう。妻は煮え切らないKに業を煮やしながらも、共に生活をしている。どうして妻や家族を切れなかったのかと大方の友人はKをなじり、寸借癖の止まないKを軽蔑しきっている。「物を書くということは、全体を部分部分に分け、くみたてなおすことだ」という言葉が耳から離れない。KはKらしく生きているのだろう、一人のアウトローを許容することが世間はできないのだろうか。 

8月16日

 Nは中学を出て長距離の運転手をやっていた。30過ぎに結婚して2子を設けた。仕事に出れば1週間も帰らないことがあったという。子どもが小学校の高学年になった頃から、妻は仕事に出るようになった。そして50歳を迎えた頃、妻から離縁状を突きつけられたのである。薄々感じてはいたことであるが、会社の上司との不倫であった。あなたは面白みがないとか、生活していても楽しいことは何もないとかいって、妻の両親や弟までも巻き込んで、別れることが当然だといったそうである。一心不乱に身体をかけて、やってきたことがこんな結果になるとは寝耳に水であった。Nは決心して妻の職場を訪れた。相手の上司を名指しで呼び出そうとした。その時相手はその場にいなかったのか、結局出てこなかった。もし出てきていたら殺していただろうと、Nは感慨深げに話す。親権をNに預けて妻は家を出た。5〜6年過ぎた頃長男は、母親の元に行ったという。Nは今娘夫婦と暮らしている。中学を卒業して42年ぶりにNにあった。気の弱そうなNはあまり変わっていないように見えた。淡々と語る半生に、未練や後悔よりも、運命として受け入れているような素振りが見えた。 

8月12日

 人なつっこいTの笑顔が帰ってきた。溢れる心情を小さなささやくような声で、笑いながら発するから明瞭でない。暖かさが周囲を包み、この人は神仏を灰汁抜きしたような人だと形容させた、ほかならぬTである。幾年も疎遠にしていたのが嘘のように、木訥な会話が続いていく。来週の水曜日にTを含め数名で飲むことになった。楽しい酒になるだろう。Tは子どもをあきらめていた。しかし、授かったのである。子ども好きのTへの神の思し召しなのだろう。人を傷つけたことのない、人の悪口をいったことのないTが卒業して15年、どんな生活、心情で生きてきたのか興味は尽きないところである。

8月11日

 今年の臨海は8月3日から5日までに実施した。小遠泳、大遠泳ともこの数年のうちで最も充実したものであった。学生側に遠泳だけでは物足りないという声が強く、これを3泊4日にして2日目の午後あたりをマリンスポーツをやるというのは如何であろう。この案は個人的には随分前から持っているのであるが、教官の同意が得られていない。いろいろなスポーツを経験させることにより教育効果も上がるのではないかと思う。ホームページが大分おろそかになって申し訳ない。小学校6年生が同級生を刺殺するという事件が起きて、その原因がネットにあることを受けて、ホームページを続ける意欲がダウンしてしまった。ネットやチャットにはまる性格が、陰湿ないじめや中傷誹謗にはまる性格と全く同一のものであることが証明されてとまどっている。小中学校生には、もっとリアルな会話や経験を積ませたいという思いは教育者には誰にもあるだろう。現実や体験にうらうちされた教育にしっかりと立った教育はどうすれば戻ってくるだろうか。 

8月2日 

 R大学の集中講義を3日間でやった。これは大変ヘビーで疲労困憊するほどである。1日に6時間も7時間もしゃべり続けることがこんなに心労になるとは最初は気づかなかったのである。やらなければならない課題を次から次へやっていかなければならない。質問にも丁寧に答えなければならない。80数名の学生に整然とした授業態度を守らせねばならない。その一つ一つがずっしりと重い。集中力の連続が微妙に心を蝕んでsる。2日目の午後から原因不明の下痢に悩まされた。出口はちゃんと訪れるのに、この体たらくである。終わるとほっとした。又この経験を後期にせねばならないかと思うと、胃がきりきりと痛むのである。

7月28日

 厳しい暑さが続いている。暑さに対する感覚が人それぞれ違っていて、やっと冷房が利き始めると、鶴のように痩せた女が鳥肌を見せながら、さむーい、さむーいという。目尻をつりあげて冷やしすぎですよといって、冷房を消してしまう。環境テロリストだ。仕方なく噴き出す汗をじっと眺めている。7月の講義室でも同じことが繰り返される。女子学生などは、ノースリーブや短めのスカートで裸同然だから我慢ができるのであろう。短パンもままならぬ男性にとっては夏は地獄である。釈迦力にならずに、いよいよスローライフに切り替えた方がいい。冷房の嫌な人は長袖か、カーデガンを持ってきて下さいといってもなかなかそうするものはいない。申し訳程度に布をまとえば済む人にとっては多分暑さは心地よいのであろう。 

7月22日

 小さな体躯を折り曲げて、床に正座し時折両手を会わせる。。祈りにもにたポーズが繰り返して2日になる。数年前から殆ど視力がないという91歳のSさんは食も水も断った。3人の息子を育て上げて今3男夫婦の世話になっている。この家には独身の2男も身を寄せている。長男夫婦は家を出てSさんとの折り合いは良くない。嫁同士も険悪なまでに仲が悪い。Sさんはその中にあって心を痛めている。どうしたのですかと何度も問うと、子どもたちをしつけ間違えました、その罪は重く裁かれなければなりませんという。白い薄い髪が肩まで垂れ下がっている。髪をまとめましょうね、といって温タオルで髪と頭を拭く。途中からSさんはタオルを取って顔や首や手を拭き始めた。そして口の中もタオルの端を差し入れて拭いている。さあ髪は束ねますかといってまとめて輪ゴムで止めようとするが余りうまくいかない。自分でやってみますかといって輪ゴムを渡すと上手に束ねた。さあベッドに上がりましょうと促すがなかなか動こうとしない。再び祈りの姿勢になって、罪を償いますといいはじめる。ひとしきり呪文のような言葉が聞こえたが沈黙してしまった。死にたいのですか、Sさんこのまま死にたいのですか———。返答がない、耳元でもう一度死にたいのですねといった。いえ、死にたいばかりではありません。はっきりと死にたいばかりではありませんと繰り返す。そうですか、それはよかった、ではベッドの上に上がりましょう、というとゆっくりと床に手をつきながら立ち上がった。死にたいのではないのですねよかった、食事も水も飲まれないので死にたいのかなと思いました。入れ歯を見つけて、歯を入れましょうというと自分で歯を入れた。Sさんは、その日の夜から食事を取り始めたのである。 

7月21日

 なつかしい風が吹いてくる。気分を変え、不愉快さを吹き飛ばし、明日に向かって希望が持てるように感じられる。夢がきらきらと輝き、期待に胸を膨らませて前進している姿が目に浮かぶ。本当は昨日からの睡眠不足に4時間15分という長丁場のだらだらとした、全くおり場のない会議にさいなまれて、オイフォリックになっているのに過ぎないのである。懐かしさに身を委ねるなどということが一杯気分でもない限りあり得ないではないか。 

7月20日

 学部の玄関に通じる左脇に枝振りのいいサルスベリの木がある。気のてっぺん付近から淡いあでやかなピンクの花が咲き始めた。この木は開花が遅いのである。大学の周辺の木や、構内の他の木はもうとっくに盛りを迎えている。枝振りからして樹齢が大分経っているのではないかと思う。心待ちにしていた花が咲くと、夏の気配がいっぺんに立ち上る。この夏はどんな夏になるのか、その期待感もある。夏は嫌な季節であるが、感情が死んでいるということはない。心に刻印される何かが起こるのも、夏の特徴である。目をそばめてぎらぎらした夏の太陽を見る。青い空に力強いなつの雲が湧き起こっている。 

7月15日

 郷里では7月盆であった。まだ学校は休みに入っていなかったが、家のものが皆農作業を休んで、先祖の墓の新しく代えたもうそう竹の花入れに花を入れて、お参りをした。大人たちは浴衣を新しくあつらえたりして、何とはなしに華やいでいた。棒鱈の煮しめや、冷や奴がいつも揃っていたが、子どもの好むものではなかった。米の粉をひいてきて、それをゆでて団子を作ってお供えをした。形が編み笠に似ているので、編み笠団子とよんでいた。香りをつけるためにヨモギをゆでて入れることもあった。子どもには米の粉のざらりとした食感が、決して好ましいものではなく、1個お義理で食べる程度であった。そのほかにも祖母は混ぜご飯や、それを中に詰めたいなり寿司を作ったが、子どもはもっぱらそれを食べていた。祖父、祖祖父、祖祖母たちは自分の生まれる前になくなっていたから、先祖といっても全く実感がなかったのである。 

7月12日

 参院選は終わった。年金法案とイラク派遣がたたって自民党の敗北とまで行かないが、議員が減って民主党が躍進した。1人選挙区で自民党は70歳以上の高齢者、民主党は40代後半というのが多かった。70歳をはるかに越えた人に支持政党であっても、票を入れようとしないのではないか。いわゆる政界の老害である。衆参院議員も70歳付近に厳しい定年制を敷いてもらいたいものである。小泉政権も51議席が2議席守れなかったといって、責任問題をすぐに引き合いに出す。これも如何なものかと思う。4〜5年はこの人にこの国を託そうということでないと、一貫したことが実を結ばないのではないだろうか。3年前の初々しさはなくなったが、今の政権には行動力がある。民意は得てして低い方へ低い方へ、いわば安穏な方へ流れがちである。未来を見据えて民を導くことも必要である。世論だ世論だと騒ぐ連中に未来はないように思う。共産党は15席から3議席へ大敗を喫したのも、理想論ばかりのぬるま湯では価値はないということが見抜かれたのだろう。 

7月8日

 昨年度はライフスキルが研究テーマになっていたT校で今年は管理職が総代わりして、全く別のテーマになってしまった。学力低下がクローズアップして教科に関するテーマになったらしい。3月までの積み上げは殆ど消滅することになってしまった。研究の継続性などということがうまくいかないのが学校現場である。方針が変われば、教員はそれを粛々として受け入れ、最初から取り組み始めるのである。子どもたちもその異変に気づくに違いない。これをやって確かに手応えがありましたよ、研究の継続性からももっとこの方面も深めていきたい、などという意見が果たして述べられただろうか。少し寂しい気分になって、T校の今を電話越しに聞いている。あの若い熱血教師集団は今どんな気持ちでいるのだろう。 

7月6日

 夏の太陽が容赦なく照りつけて外に出るのがはばかられる。湿度の高い熱風がたまらない。夏はいやだ。夏のないところだったらどこだっていいと思う。精神までだらけるではないか。山口を本拠地とする家庭教師斡旋業者が経営に行き詰まったのか今年の1月から学生への謝金の振り込みが滞っているという。家庭教師を頼んだ両親の中には半年や1年分まとめて支払っているものもいるという。家庭教師を受けている子どもたちも被害者で、突然家庭教師をうち切られることになる。随分前は斡旋業者もなくて大学構内の掲示板などに張り出されたものをピックアップして交渉していたものだ。不払いなどを起こす業者がいたら、何を持って食い物にしてきたのかと怒りが噴出してくる。 

7月5日

 PさんとNさんは同じ団地に25年以上も住んでいる。ゲームの途中、Pさんが、Kさんが余りに力強くPさんの手を握ったので腫れ上がるほどであったと文句を言っている。Kさんはもともと乱暴な人だから大して強く握って等いないといい張っている。今年の11月に満90をむかえるPさんと、その8歳下のKさんはいつも口げんかが絶えない。それでも2人は離れようとしない。耳の遠いKさんにPさんが繰り返し説明していることもある。リーダー格のNさんは1年前に癌で夫を亡くした。今年、2人の幼児を抱えた娘が悪性リンパ腫に侵されていることがわかった。単身赴任の夫を待っている娘は居を母親のNさんのうちに構え、化学療法をやっている。2人の幼児の面倒をNさんは必至で見ているのである。そのNさんが右の前腕骨を折ってしまった。不自由な手でどんな家事をこなしているのだろう。熊本市の南部の町内に健康教室を始めて1ヶ月がたった。常連の人も出てきていろいろな人間関係も見えてきて、このフィールドをどんな風に続けていくか、思いはつきないところである。 

6月30日

 6月が終わるとやがて前期が終わる。前期の最終段階に入ったという感覚が広がっていく。12コマ以上のコマ数をちゃんとそろえるのはやはり大変である。それだけの講義をやっていって始めて、その教科が見えてくるのである。そんな地道な作業こそが、大学の仕事ということなのである。その事をおろそかにされては見るべきものがないと思う。評価評価という言葉が喧しい。その原点が十分に評価されるものであってほしい。 

6月28日

 いつから腹を抱えて笑うということがなくなったのだろう。感情が死んでいるのだろうか。さして悲しいこともない、ひどく寂しく感じることもない、だとすれば、起伏のない日常がだらだらと続いていることの証なのだろう。ずっと前には毎日よくけらけらと笑っていたような気がする。周囲の者を笑いに引き込んで、さらに大きな笑いに転換していたように思う。歳を重ねて、責任や管理のようなことが増えてくる、そうするともう笑えない、軽はずみな言動は慎むに限るということであろう。それでも気の置けない友人や、親しい者の間ではもっともっと笑い転げていいではないか。殺伐とした人間関係や、義務や責任ばかりを突きつけられる職場に死んだ感情は再生ができるだろうか。できたとして日常は愉快な気分に支配されるだろうか。鬱々としながら薄い水色の空を見ている。梅雨の中休みの夏空が広がっている。 

6月25日

 教員採用試験の1次試験に熊本の場合は集団討論があるというので厚生就職委員会で、予行演習を2回、本実習を4回やることになった。昨日1回目を終了した。討論をやらせるというのはいろんな資質を見ることができるような気がする。10名内外の学生でやらせるから比較ができるということでもある。テーマについての考え方、他の意見を聞いての反応などいろいろなところに資質が現れてくる。ディスカッションが熱を帯びると、性格まではっきりと見えてくる。あるものは興奮してくるし、あるものは冷静であるか、議論についていけない。考える力のないものはどんどん置いて行かれる。それがはっきりと見えてくるから厳しい試験になると思われる。集団討論の形式を経験したかしないかでは、、すぐに差が出るというものである。とにかく、自分の意見を自分の言葉できちんと述べる訓練をさせていく。受験生は数回経験してほしい。真摯にテーマに取り組む姿は忘れずに、他人の意見を十分聞くというルールを認識させることが大事である。 

6月22日

 車を代えて1ヶ月が経った。やっと身体が車に馴染んできた。運転するのにもよそ者だという気がしなくなった。身体の一部のように感じるまでには、まだ時間が必要かも知れない。いろいろな機能を十分駆使できるところまではいっていない。しかし、転ばして目的地に着くことが車の機能だからそれでよい。カーナビがついたので新しいところに行くことが苦にならなくなった。音声誘導に従っていれば、ちゃんとつけるということを何回か経験すると、車に対する信頼感が高まった。なんでこんな農道みたいなところを走らせるのか?なんでここで高速に乗るように支持するのか?といった不信感を持ちながら誘導に従っていたが、それがもっともリーズナブルな選択だったと気づいたときには、現代に生きるとはこういうことなんだと、人生観が少し変わったような気がしたものである。かくて、上手に使いこなすことに磨きをかけねばならないと思うようになった。車のスピード感が直に身体に馴染んでくるようになると本物であるが。 

6月21日

 台風は四国にそれて、余り雨も降らなかった。拍子抜けの感がある。とにかく土曜日から暑い日が続いた。フェーン現象だという。6月梅雨に入ったのは早かったが、殆ど空梅雨で雨が降らない。ベランダのプランターの草花が萎れてばかりいる。去年青紫蘇の苗を3本ばかり植えて、十分収穫したのが、今年はこぼれた種で十数本の苗が育っている。2週間もすれば収穫できるかも知れない。部屋の中においている、いくつかの植物も、剪定もしないままに藪のようになっている。緑があるのはいいことだとして、2日毎には水をやり、数カ月毎には液肥もやるようにしている。研究室も同じことで藪のようになって、花の絶えることはない。訪れた人の中で植物に興味のある人は、よく茂っていますねと声をかけてくれる。生き生きとはしていても見栄えのいいものではない、それはホストの生き方を示しているのだと言わんばかりに、放っておいて、しかしそれはただのものぐさに過ぎない。 

6月17日

 中学2年生の女児が、2週間ほどクラブの女児にいじめを受けて、投身自殺を図った。14歳という特に女児は、死の完遂の敷居が低い。死の不可逆性についての認識が十分育っていない。死を迎えることが完全に無になるという概念が曖昧のままなのである。こうしていとも簡単にハードルを越えてしまう。命の大切さの教育ではなくて、死とは何かという教育が必要なのである。世論がこんな風に、他殺だの自殺だのに集まると、子どもの心理もすーっとそういう方に進んでいくのかも知れない。若いしなやかな命が絶たれていくことにいたたまれない。特に教育の現場が舞台になることに絶えられない。 

6月14日

 OBと現役のジョイントコンサートを開くべく、月に3〜4回練習をやっている。先週の週末は土、日に練習をやった。OBの出席が悪く、どうしても現役主体の練習になってしまう。不満は現役に溜まっていたようである。9月のコンサートのイメージすらしっかりしていないという意見が出された。曲目が多すぎて、1年生には大変な負担になっていることが縷々述べられた。気づいていたことであるがそれをちゃんと言ってこなかったことに問題がある。互いのコンセンサスを取っていくことの難しさを思い知らされた。はっきりものを言う現役生は昔とは随分違うなと言う感じで聞いていた。主張をはっきりすることに、責任もとってほしい、それができれば大したもんだと、20そこそこの学生と議論しながら考えていた。 

6月10日

 自分がみんなから孤立しているように感じるのだろうか。それとも、自分の主張を通すことを人生の身上としているのだろうか。大きな声で、罵倒するように対象を決めながらとうとうと言葉の洪水が続いていく。反論は試みるのだが火に油を注ぐようで、皆中途からあきらめ感を強めている。何という寂しい人格なのだろう。一人になって後悔の念もわき起こらないのだろう。生育に問題があったのだろうか。相手を立てて、円満に過ごすという辞書はないのだろうか。目頭が熱くなっていたたまれなくなる。空疎な言葉は続いていく。心の琴線に決して触れることのないエゴイスティックな空回りは、宙を飛び、飛散させ、どんよりとした空気をさらにぎとぎとさせていく。 

6月9日

 先日は山口県の公立高校2校に教育実習の挨拶に出かけた。当科の4年生が女子のバレーボールを指導していた。早く早くと声をかけるがコートに来るのに5分以上遅れている、コートを2周走らせるのであるが、だらだらとだべりながら、ふざけ会いながら、5分以上かけている。ストレッチに入ったがまともにやっているのは34人中4〜5人で私語が絶えない。次に2人に一つボールを取らせてトスの練習を始めたが、ラリーは続かず、こぼれたボールを笑いながら拾いに行く。大声で笑い転げて、スポーツをやっているという意識も全くない。受験校でいい大学に進学するという、女子高生の体育実技は授業として成立していない。指導教官もこの2〜3年の女子の体育実技に対する意欲の欠如に嘆いていた。だらだらとまるで、幼稚園の年中さんのお遊びを見るようであった。現場がこんなにひどいとは思わなかった。

6月4日

長い髪を後ろに丸めてきっちりと結った老婆が、よそ行きのスローブのようなものを羽織って、イスに腰掛けている。血圧は測りましたかと言うと、こっくりとうなずく。アンケートは書けますか、と言ったスタッフに、わたしはいいと言って、きんちゃく様の袋に用紙をさっとしまって、ひもを結んだ。今週の水曜日から市内のある地区で、院生、学生と組んで健康教室を始めた。そこの参加者である。漢字の多いアンケートは70歳をゆうに越えた人たちには容易には受け入れられない。教室は地区のボランティアの要請によって開始した。3ヶ月くらいじっくりやってみたい。運動の必要性を話し、高齢者用の運動メニュウを実施していく。研究的に取り組むことも必要であろう。毎回、健康についての話も、30〜40分入れる。内容は主に死についてである。如何に死ぬかという高齢者にとって最も関心のある内容について、少しづつ話していく。死についての準備教育である。高齢者向けの死の教育を実践できる場としても十分に活用したい。 

6月3日

 インターネットのチャットで容姿に関する悪口を書れたことが原因となって、小学校の6年生の女児が同じクラスの子をカッターナイフせ斬り殺すという途方もない事件が起きた。前の週の金曜日から、殺意を抱き、計画的に犯行に及んだのは火曜日である。ネットのチャットという子供たちをはまらせるツールが起こした事件と見るべきであろう。活字でおしゃべりをするという、さらに消すことができないという、いろいろな闇の部分を持っているツールであることを十分知って使うべきだと思う。事件の起きた小学校はパソコン教育に熱心で、中学年からチャットができるという、さらに、作文もワープロ仕上げだという、狂っているとしかいいようがない。パソコンは中学校の終わりから高校にかけて始めればちょうどいいと思う。ネットなどももっと遅くからでもいいではないのか。便利だから教えるということで低年齢化していく。子供たち同志の膚のぬくもりのある教育がどんどん隅に押しやられてしまっていく。 パソコン教育のネガティブな部分がもっと強調されていいのではないか。

5月31日

 鈍色の黒い雲が幾重にも重なって、雨を降らす。梅雨に入った。一番嫌な季節だ。この雨期がないならいいのにと思ってしまう。モンスーン帯にいて無理なことであるのはわかっているが、つい愚痴が出てしまう。今日は市内の小学校に実習の挨拶に出かけた。担当の3人の学生は、皆教員志望が強い学生たちで、職員室でお願いするときも大きな声で堂々とできる。教員を目指していない学生たちの、教育実習を頼むときは、何か引っかかるものがある。前に、真顔で管理職の先生に、教員を目指さない学生たちは、実習を引き受けたくないといわれたものである。その後遺症が残っているのかもしれない。しかし、免許を取る権利は学生にあって、とやかく言われる筋合いのものではないのだろう。今週から3週間6つの学校の実習挨拶に回ることになる。ヘビーすぎるという思いがする。 

5月28日

 Dは長い間行政に職を得て、保健関係に勤めていた。それなりのポストもあったから行政マンとしての自負もあった。数年後に定年を控え、若年者が上のポストに就いたりしたので、介護病院に移ったのである。しかし、現場を離れていた時間が長かったからか、上司が余り年齢差がないのに、使い走りのようなことをやらせるので、頭にきている。些細な仕事も押しつけるといって嘆いていた。Dはもともとそんなぼやきをやるような人格ではないので、縷々話を聞いているこちらがびっくりしている。上司は上司なのだから、うまく持ち上げておいて、気持ちよくやった方がいいですよと言っても、状況を理解しないこちらの態度にまで不満の様子である。長いこと権威を行使することに馴染んできた、後遺症なのであろう。スロウに生きようと今の職場を選んだという自覚はない。しかし、他から見れば苦労しないスロウな人生に切り替えたなと見られるのは必定ではないか。 

5月27日

 時々古い記憶がふーっと現れることがある。7〜8年前に解体した生まれ育った実家であったりする。あの前に古い柱があって、その光沢までもが思い出される。一番奥の部屋には立て付けの悪いふすまがあったとか、障子はいつも破れていたとか、詳細が思い出される。扉を開けたり、くくり戸を押し開けたりする方法で思い出をたぐっている。この頃、テレビなどで古い都などをCGを使ってやる再現の場面をよく見ているからなのだろう。あの手法も実は人の記憶の再現を模しながら行き着いた方法なのかも知れない。乾いた天上板や湿った土間の質感までも思い出されるのに、道路に向かって開いていた門の具合が思い出せない。形はどうであったのか、田舎故閉じるということがあったのか、父はいつその扉をつけたのかーーー。他愛もないイメージを頭の中に描きながらも、子供の頃の気持ちはいつまでも思い出せないでいる。 

5月26日

 まんじりともせずに闇や虚空を見つめているというのではなくて、視覚情報をシャットしてまな裏の闇に向き合っているのである。闇が褐色に色褪せても何もイメージは浮かばない。精神統一というより無になった状態の瞑想である。この状態をずっと続けていると、睡眠と同じ脳の休養になるような気がする。脳波を取ったわけではないが、確かにすべての思念がまったく消えていくように思う。夜寝付かれないときの儀式のようなものであって、ふっと気づくと眠ったという感覚はないのに20〜30分の時間が過ぎている。若いときはこんな芸当はできなかったなという思いと、脳は既に老いの境地に入っていて、覚醒の中に機能停止のような状態になっているのかも知れないという危惧もある。 

5月24日

 緑の草原がおしげもなく広がって阿蘇の峰峰が緑を戴きながら聳えている。夕方になると逆光の中に稜線の汀がハレーションを起こして光っている。少し歩くと夏草が生い茂って足が取られそうである。阿蘇は新緑から確かな夏の装いへと進んでいる。阿蘇青年の家で3年生の合宿研修を無事に終えた。1泊2日であるがずっしりと重い2日間であった。何がそうさせたのかよくわからないが300人を越える学生の多いさが、重荷に感じさせているのだろう。人が多いということは、何があっても不思議ではないというとりとめのない不安感に苛まれるということなのだろうか。確かに規律を守らない数人が出る、その事が全体行動の足を引っ張ることになる。しかし、今年はそれも最小限にくい止められたと思う。皆、良識ある行動をとってくれた。今年の結果を評価して、新たな研修の形を作っていくということになるだろう。 

5月21日

 明日から2日間3年生の合宿研修である。今回の研修は前年度の計画によるものなので、ことし4月に厚生就職委員になった自分にとっては、計画から参加しているものではない。3年前に参加した後行っていないので、どんな風になっているかわからない。この合宿はいろいろな変遷をたどってきたように思う。グループで議論を深める合宿であったり、余興に全力を傾けるものであったり、学科別に宿泊したり、宿泊施設に顰蹙を買うほどの酔っぱらう合宿であったりしたものである。5年前から学生の実行委員会に運営を任せようという機運は高まった。この3年の合宿研修は、学科を越えて集団で行動する最も大きなイベントであることに変わりはない。今年を見極め、どのような展開が望ましいか、じっくり検討していくべきであろう。 

5月19日

 「ごたごたで政権さらに遠くなり」先の選挙で民主党の勢いがついて、日本もいよいよ2大政党へ進むかに見えたが、果たしてごたごた、密室性等で民主党の議員の中にも離反者が続出するだろう。年金の不払いを政争の種にしようとした執行部の責任は問われるべきだろう。かくして日本が2大政党の方向へ進むことは先行き真っ暗となった。日本にはまだまだ民主主義が成熟していないということだろうか。年金問題は超党派で一元化に向けて知恵を出し合って最も日本にあった制度を模索するべきであって、こっちがいい、あっちがいいという課題とは違うと思う。国民年金加入が任意の時期に無加入であったことを、ことさら取り上げて云々するようでは民主党の明日は混迷の一途であると予言できよう。、政治家はもっと悪いことをやっている人もたくさんいるのであるから、年金不払いごときに、ことさら潔癖主義を打ち出すのは愚の骨頂といわれても仕方がない。それをやってしまった管も小沢も自業自得だと世間は笑っているのである。そして岡田も。 

5月17日

 85歳の老婆が右の前額部を押さえてうずくまっている。娘が父親らしい男をあやすように遠ざけている。しばらくすると男は老婆の目の届かないところにいった。横になった老婆の頭の周囲は血の海である。老婆は痴呆症の夫に鎖のようなもので頭を打ち据えられたのである。幸い傷は浅いが、どうしたのと回りが聞いても、転んでしもうたの一点張りである。娘が痴呆の父になぐられたのだと周囲に小声で説明している。「わたしも85じゃけんねー、お父さんは戦争帰りよ。いつも元気が良くてねー。」老婆は夫を責める言葉は何一つ口にしない。「わたしはデイサービスに5日も行くのに、お父さんは行かないといって聞かないしね。そうら、ごちそうがあるよ。いけばいいのにね。来週から踊りの稽古もあるのにねー」老夫婦の歩いてきた道のりを考えている。頭に鎖を打ち付けられて、大量の出血をしてそれでも夫をかばっている。「こんな傷ではー、踊り躍れねーな」「大丈夫だよ踊ったらえー、大した傷ではないからー」 

5月14日

 昨日学園祭の実行委員会と学生部会の話し合いがもたれた。始めて参加して、実行委員会が文化系サークルとしてカウントされていること、毎年1年生実行委員のなり手がなくて、存続の危機に立たされていることなど驚くことが多かった。中身はこの数年テント企画といわれている模擬店ばかりで、参加しているものも大変少ない、酒を飲むことを禁止したことによって、盛り上がりに著しく欠けている。羽目をはずせとはいわないが高校生ではないのだからもっとけじめを付けるようにしてアルコールも許可した方がいいのではないかと思う。殆どの学生から見向きもされなくなって、一部のものたちの細々とした寄り合いというのでは休講にすることもなかろうと思う。前夜祭を全体企画にしたり、テーマ毎に学部学科で競い合ったり、もっと楽しさを演出する仕方を創出してほしい。 

5月12日

 構内の車止めの脇に野朝顔が一輪咲いていた。今構内は至る所に花ニラの群生があって盛りを迎えている。その下にはドクダミの花が咲き始めた。春ヒメジョオンの花もいくつか開花している。これからしばらくこの白い花に覆われる場所も出てくることになる。講義棟の「こ」の字になった一角にユキノシタのの群落を見つけた。どうして今までこのことに気づかなかったのか、少し残念であった。いま下向きかげんの白い小さな花をいくつもつけている。鉢上げでもしたい衝動に駆られた。おおかたスカンポの花は盛りを過ぎ、狐のボタンはこれからもしばらくは花期が続く。春の野草に彩られたあまり手のはいっていない構内を、ゆっくり散策するのは大変な楽しみである。 

5月10日

 第5回目になる保護者会が先週の土曜日に行われた。一応形式が整って、スムーズに流れるようになった。懇親会出席は40名足らずであったから。今後出席者を増やしていく努力が必要であろう。2者面談も実施しているが、教官として保護者の意見を聞くのは大変いいことだと思う。教官としての指導指針なども、平易な言葉で語ることができる。大学で学ぶことはどういうことかということを、教官の価値観から知ってもらうことも、子息の今後の動向を決定していくときに重要な要素になるように思う。保護者の大学や卒後の子息に対する考え方や、価値観は、教官とはかなり違ったものである場合が多いのである。指導教官としては、ゼミの学生くらいは、保護者にあっておきたいと、このような場を経験しながら強く思うのである。 

5月7日

 寂しい気分が支配する日でも、他から見れば結構うまく渡り合っているなと見られるのだろうか。一日が終わろうとしても、明日の重荷が気になってすがすがしい気分になれない。羽目を外してどろどろに酔ってしまいたいような誘惑が、少しも実現性がないことにいらだっているのかも知れない。連休が終わってフル稼働になっている。講義はもちろん、委員会や、プライベートな勉強会や、課程の保護者会など山積みの課題が目白押しである。ひとつひとつ丁寧にこなしていって、成果は表れるものだろうか。後悔することがあるとすれば、今何をなすべきか。疑問は山のように出てきて、沈鬱さに拍車をかける。 

5月6日

3月の下旬に友人の義兄が脳出血で倒れた。酒を飲んで酔っぱらっているのかと家人は思って半日も気づかなかったらしい。病院に運んで血腫の吸引術を受けた。40〜50CCくらい引けたらしいが、意識が戻るほどの好転はなかったのである。1ヶ月を過ぎてリハビリ専門の病院に移された。連休に訪れてみた。家人のいない4人部屋の一角に、ひっそりと休まれていた。刺激を与えるためかテレビがつけっぱなしになっている。名前を呼ぶと開眼するが、人の気配に気づいた様子はない。視線をさまよわせているような、うつろな動きである。しばらくすると何事もなかったように、めをつぶる。一人淡々と生きているような、或いは生かされているような光景が胸を打つ。いつか自分もこうなるのではないか、恐怖感が走る。自分のあずかり知らない、自分の生がそこにはある。リハビリ大変ですが頑張って下さいとメモを残し帰ってきた。

お詫び:本文の色が赤になっております。今の時点でどうしても黒に変更ができません。お読み苦しいことをお詫び申し上げます。 

4月30日

 2ヶ月前から家の近くに中国人の夫婦が中華料理の店を出した。安いし、インスタントは一切使わず丁寧に料理をしてあるので、気に入って時々行っている。日本は4年目で余り日本語は通じない。それでもサービスしようとする心は伝わってくる。審陽市に息子が一人大学で学んでいる。とにかくこの息子をアメリカの大学院に通わせることが夢で頑張っている。親が子を思う気持ちは国を越えても同じである。中国の東北部から、アメリカを目指し、世界に飛翔させたいと願う夫婦の夢はそれなりに大きいと思う。その為に日本で金を稼ぐという計画を立てたのであろう。20人も入れば一杯になる店に、数人しか客がいないのを見るに着け、果たして夫婦の中に去来するものはなんであるかと想像するとき、一瞬暗い気持ちになる。 

4月28日

  青いぽっかりとした空に、薄い刷毛のような雲が流れている。夕方の7時になろうとしているのにまだ暗くはない。いろいろな話題が彷彿としながら、教室で会議をやっている。この会議くらいは楽しいものにしたいという気持ちがある。楽しく仕事をするということはそんなことだと思う。皆が顔を会わせることによって、ひとりでにストレスが発散していくようなそんな団らんは誰もが求めているものだろう。それでなければ余りに寂しいではないか。互いが角つきあわせるのではなく、いたわり合う関係性が求められると思う。何年も一緒の職場にいて、その人の本質がわからずじまいであったなどとは決して思いたくない。いつもユーモアを忘れたくないという、本質的な楽観主義が、父から受け継いだそれが、いつも彷彿としている。 

4月26日

 青い深い色の絵だったような気がする。あれはピカソの青の時代の絵だったのだろうか。授業で大学生に好きな色をいわせると、多くが青と答える。今は青の時代なのかも知れない。両手に蛇口からこぼれる水を受けながら、手のひらが青くなっていくような錯覚を受ける。青い水の感じは多分深い海のコバルトブルーのイメージなのだろう。水への畏敬の念が歳を経るに高まって、次第に青が好きになっていくということもあるのだろうか。小学生を対象にした授業でも、好きな色や逆に嫌いな色を聞いている。彩度に対する感じは、ひとりひとりが自分に問いかけて持っておいていいと思っている。絵や写真を鑑賞するときに一つの切り口になるかも知れないからだ。

4月23日

 おびただしい光の粒が溢れているのだろうけれど、黄砂と春霞のせいか柔らかな乳色の空である。新年度がフル回転になったけれど、すがすがしい門出とはいえない。3月に卒業した3人が遊びに来てくれた。それぞれの場で、フレッシュなすがすがしさを感じさせているのだろうか。大学という場から離れると、皆なにがしかの初々しさを発揮するもののようである。世間に解き放たれた方が、行動の自由さが広がるのであろうか。それとも、社会性が身に付いたことによる結果なのであろうか。言葉も、感情の表現もずっと豊かになったように感じられる。学生という上着を、脱ぎ捨てて颯爽と巣立ってほしいとはいつも思うことであるが、余りに変身されるととまどうかも知れない。

4月22日

 人はなぜこうも傍若無人に、尊大になれるのか、人格の核心の部分が崩壊でもしているのであろうか。常識あるすべての人の否を告げる声に耳を貸そうとしないのか。涙をかみしめて我慢するしかないのか、あまりに非力な自分に腹立たしささえ覚えている。もっと明快なルールを作らねばならない。ルールを盾にもの申さねばならない。でも結果は見えている、その事がよくわかっているから茫然自失の状態になっているのである。 

4月21日

 物事がうまくいくときにはころころと転がるようにまとまっていく。間違った認識も、すぐに改めて、次への意欲が出て来るというものだ。物事にこだわる性格ではないから、切り替えはスムーズだ。この性格は父から受け継いだものだと思う。父も、たくさんの友人や知人が多かったが、その関係は側で見ていてさばさばとしたものであった。よくあんなにしておられるなーと子供ながらに感心したりしていたのであるが、自分が歳を重ねていくと、父のような応対になってきた。難しい関係性も余り気にしなければ済むことだということに気づいてきたのかも知れない。父は、威厳を持つことも、居丈高になることも殆どなかった。相手の目線にすうっとおりていって、親しく言葉を交わしている、その直截さが果たして自分にも感得できるのだろうかと思ったりするのである。

4月20日

 楠の若葉が古い葉と変わって、銀杏や、欅の新緑と緑のグラデーションを作っている。若葉の季節は青い葉脈や、草いきれや滴る緑の樹液が人を官能的にさせるかもしれない。やわらかな初夏の日射しが、緑の葉に反射されて、目を射る。毎年巡ってくるこの季節に、多くを託したいと思う。新学期になったら、フル回転で起動しよう等と、教官は誰も思っているだろう。でも、受けての方が十分であるかどうかはわからない。すぐに落胆させられることもある。放った矢が届く前に対象は逃げを決め込んでいるのである。頑張ろう、活性化しようという気持ちは萎えて、糸がこんがらがったマリオネットのように手足だけをぶらぶらさせている。

4月19日

 結局拉致問題は全員無事に返されて事なきを得た。実に喜ばしい。いろいろな議論を呼んだがそれぞれ見解が違っていて興味があった。結局政府の一貫した態度が評価されて、小泉政権に対する支持率も2%程上がったようである。朝日新聞の世論調査であったから小気味がいいというものである。小さめに書いていたように見えたのは、小生だけだっただろうか。テレビでは、前回の自民党総裁候補の高村氏が納得のいくコメントをやっていた。こんな場面でしっかりした意見を述べることは、次期候補にもつながっていく布石であろう。政治のことはよくわからないし、余りいろいろいうのも、顰蹙を買うだけだが、首相などを一般選挙で選ぶなどということが将来浮かび上がってくるとすれば、メディアによる討論番組などからその資質を探るなどということが、必須になってくるのであろう。小泉氏には5年くらい国を託してやらせたいというのが随分前からの自論ではある。 

4月13日

 ファルージャで3人の日本人が拉致誘拐されて、この話題が国民の大きな関心事になった。アルジャジーラの最初の報道からかなり丁寧に追っているが、誘拐犯のことになるとはっきりしない。3人の民間人と引き替えに、自衛隊を撤退させろという要求も均衡を欠いている。せいぜい、政治犯(テロ)を数人釈放せよというところであろう。日本は昨年からイラクへの入国を最高レベル4で退避勧告を行ってきた。今年に入っても13回やっているという。雪山に嵐が来るからという気象予報と同じで、当人が自己責任で身を守るのが筋である。そんな危険を冒して功名を遂げようというのであるから、それはそれとしてテロの欲求には決して組みするべきではない。これまでの政府の姿勢はまったく正しいといえよう。民主党の管代表などが変なことをいっているが、首相になれる器ではないという気がした。 

4月8日

 どうしてあんな風に挑戦的に話を持っていくのだろう。相手のことや、相手の心情をおもんばかることができないのだろう。自分の主張をして、その事が傷ついたとなると、しゃかりきになるのだろう。つらい気分になって、やり切れない気分になって、心が彷徨している。こんな時が続けば、きっと衰弱していくのだろう。気持ちを切り替えるきっかけは、どこから得ることができるのか。アルコールに逃げ込まない装置は、きちっと作動してくれるのか。自分の心のスイッチを今さらのように探している。 

4月7日

 イラクが混迷を深めている。スンニ派だけでなく、シーア派の貧困層も反米で武装蜂起のような事態になっている。アメリカ軍や連合軍にも死者が多数出て、収まりがつかない状態である。イラクの戦後で最も、重大な危機的状況といっていいだろう。日本も基地外での活動を停止した。イラクという国は、フセインなき後、群雄割拠の日本の戦国時代のような状態に陥るとは、識者が予見していたことであった。イラク戦争の是非論が、アメリカでも揺らぎ始めた。否定側が20ポイントも、賛成派を上回ったようである。この場を放置して、去るわけにもいかない。米および連合軍は八方塞がりになっているといわざるを得ない。治安維持などという最低限のことが圧倒的武力を持ってしてもうまくいかないというところに、問題の本質がある。それはやはり自爆テロという、ジハードの論理であろう。ムスリムを理解することは外からは決してできないことを示しているといえよう。 

4月6日

 満月の大きな月がかかっている。昨日はまだ散りきっていない桜の下で酒を飲んだ。彦生えの桜の小枝を火にくべると花の香りがした。桜のチップをくべて、薫製でも作ったらすばらしいものができあがるだろう。構内は新入生も加わって騒々しくなった。休み時間毎に、女学生たちのけたたましい叫声が響いている。どうしてあんなに大きな声を立てるのだろう。数人に一人は、靴音が高い、不愉快な耳障りな音を立てて通り過ぎる。迷惑をかけているという意識は全くないのである。かくして、新学期が始まっていく。しかし、同じ心情で新学期を迎えることはないのだと思う。日々学生たちに対する感じ方は変わっていると信じているからである。

4月5日

 桜は大方盛りを過ぎた。時々吹く風に花弁が花吹雪となって舞い落ちる。その光景は見事でいつもほれぼれしてしまう。後何回桜の花をめずることができるのだろうか。いよいよ、新学期が始まった。新入生を迎え、新しい年が始まっていく。学生と同じように緊張し、なにか目新しいことが始まる予感がする。授業ももっと磨きをかけたい部分が、浮かんでくる。どれくらい実現できるのか、、思い通りの学習集団が作れるか、期待は高まってくる。しかし、のろのろとした学生の行動に、昨日も言葉を荒げてしまった。雑言罵声を浴びせながら、ふと気がつくと高い気意は失せていた。 

4月2日

 今年は4日の日曜日に入学式、午後入部式、入科式、5日に新入生ガイダンスと大変あわただしい。県内の郡部や県外からの学生は今日明日に越してくることになるだろう。生活や、日常を整えるのに1週間や10日は必要であるはずだ。こんな新入生にとって追い立てるような日程は、取り分け自宅外学生にとっては、適応できないものがでてくることは当然予想されることではないか。新入生に対してはもっとゆっくりとした日程で臨むべきだと思う。不適応を起こす学生に対して、教官が十分ケアーできるような体制も必要であろう。希望と意欲に燃えた若者が1〜2%不適応を起こし、スポイルされるとしたら、せっかくの人生が大きく狂わされるとしたらーー、考えると不安が広がっていく。 

4月1日

 悪いことをするのは大体男だというと、そんなことはない女も同じくらいに悪いことをしますよといわれる。しかし、2003年度の受刑者(刑務所、拘置所に入っているもの)でみても、男性が71889人であるのに対して、女性は4121人で男性の5.7%に過ぎない。この数字は、悪いのは男だと決めてかかっても余り間違いがないということではないか。法律は犯していなくても、悪いのはたくさんいるから、決めつけるのは良くないが、こういったデータを知っておくことは、教育を生業としているものにとっては重要だと思っている。言葉では勝てない男が、すぐに手を出してしょっ引かれる構図が見て取れるではないか。剥き出しの暴力は、知性のない人間のようで、男の価値観からしても決して誉めたものではないが、学生を見ていると時には激しさや荒々しさがほしいと思うときもある。 

3月31日

 黒い服の女が後ろから襟首を捕まれこづき回されている。こづいているのは190センチ近くの黒人の若い男である。3人の取り巻きの女たちが近づくのだが、つぎつぎに足払いをかけられて、仰向けにもんどり打つ。暴力の光景に通行人がおそるおそる近づくのだが黒人の怒りはおさまりそうにない。意を決した2人の男が黒人に近づき、話しかける。鷲掴みにされた女が足払いをかけられたところで、やっと落ち着いたようだ。黒人の持っていたスニーカーを冗談だと思うが黒い服の女が奪ったのだという。背の高い男は女たちを造作もなく投げつける、そのすさまじさが、見物するものたちを凍りつかせている。まだ夜の8時前の繁華街での出来事である。男は何事もなかったように堂々と去っていった。 

3月29日

 自動回転ドアーに挟まれて、6歳男児が死亡した。回転ドアー等というものは手動でさえ苦手の人が多い。室内の温度コントロールのためとされているが、この事件を機にすべて取り払うべきである。この事件を知って最初に感じたのは、小学校2年生までは長縄飛びにスムーズ入ってでることができないということである。リズムを取って踏み出す巧緻性が備わっていないのである。。これが3年生になるとスムーズにできるようになる。2年生までの子で、体を動かすことの得意な子は、自動回転ドアーに挑戦しようとする、そして失敗するのである。センサーが作動しても止まるまでに25センチ進むという。35センチの時に飛び込んでも10センチに押しつぶされるという、恐ろしい器械である。回転ドアーはすべて手動にすべきで、自動ドアーはすべて撤去するべきだ。そうしない限り何人もの8歳以下の犠牲者がでるのは、日の目を見るより明らかだ。 

3月26日

 39人の4年生を送り出した。4年という期間は決して短くはない。増して10代後半から20代前半の学生にとっては、とてつもない長い期間かも知れない。その中で経験したことは、インパクトが強いはずである。この経験や、考えたこと、研究したこと、交友関係を大切にしてもらいたいと思う。去っていく彼らに、いくつもの思いが交錯する。卒業式は何度経験しても、つらい。教育という仕業に携わっていて、無言の評価を受けているようでもある。明るくお世話になりましたというめいめいが、本当のところはどうなのであろう。卒業後も何らかの教育ができるような錯覚に陥っているが、本当のところは何もできない。卒業後も研究室を訪れてほしいとは思うが、会えたとしても近況を聞いたり、励ますことくらいであろう。 

3月24日

 今日熊本の開花宣言だ。例年になく遅い宣言となった。暗い闇にボーと浮かぶそめいよしのの花影を見た。今年もまた満開になるに近づくに連れて華やかな気分にさせてくれるだろうか。れんぎょうは盛りを過ぎて黄色の花弁が道路に散り敷いていた。花柳の白い小さな花弁が風にひらひらと舞い上がった。木瓜は爛漫に見事な赤い花弁をたわわにゆらせ、あんずの花は整然としたたたずまいを見せている、あの花あんずの大きな花木は何年の月日を経ているのだろう。明日いよいよ卒業式を迎える。巣立っていく学生たちに名残惜しい気もする。彼らは後ろも見ずに、学生の気持ちは古いコートのように脱ぎ捨てて颯爽と踏み出していくのだろうか。めまぐるしい社会の中に、高い自尊心を持って進んでいってほしい。 

3月23日

 元外相の長女が危機一髪のところで週刊文春の発売を差し止めた。文芸春秋社は異議申し立てをしたが却下された。当然のことである。長女のプライバシーを暴くことになんの公益性があるかということである。マスコミは個人のプライバシーを暴いて食い物にしている。早速文芸春秋社に抗議の電話をした。今はさすがに記事にした場合、本人に連絡をし、一応の許可を取る体制はできたようである。この時点で出版物を差し止めることができるのであるが、出版社は、ぎりぎりにその手続きをするから、今回も殆どは発送された後だったようである。一度、公になってしまうと、その人の人生を狂わせてしまうこともあるはずである。何人の人権も侵されてはならないというマスコミが低俗になり下がって、おもしろおかしく個人のプライバシーの荒探しをやるようなことは許されないことだと思う。スーパーモーニングでおたんこ女子コメンテーターが「長女の生き方やプライバシーを知ることで田中真紀子氏の人柄がよくわかるので報道すべきだ」等といっていた。子は親とは違う人格で、自分の人生を歩いていくのである。あほくさ死んでしまえ。 

3月22日

 この1週間ほど雨や、気温が上がらなかったりで桜の開花が遅れている。15度を下回る気温では寒々とした雰囲気が醸し出されて、春だ、花だというわけにいかない。人の習いせいというのは不思議なものだ。皮膚感などというものは人では本当に繊細に、作用しているもののようである。この寒さだったらどんな食材がおいしいだとか、どんな風に味付けしたらいいだとかが自然に入っているのだろう。スーパーなどで気温が何度を切れば鍋物が売れるとか、おでんの食材が売れるとかを予想して、そんな食材を前面に持ってくるなどと、レイアウトのことなどを細かく言っていた。人は人工の環境の中に暮らしていて、皮膚感などの動物的な感覚は死んでいるなどという人がいるが、もっと、自分の5感に耳を澄ませばそれが全くの間違いであるということに気づくはずである。 

3月19日

 M先生が退官する。その最終講義を聞いた。30年前のアフリカの調査の話であった。30年前と言えば日本がどうであったかも想像できない。多分まだ農村には牧歌的な風景が広がっていたのであろう。自分自身にしても、大学を卒業して2年目でまだテレビも持っていなかったのを思い出した。M先生にとっての30年前のアフリカは、余程印象に残った経験の連続であったらしく、スライドの殆どは茶色に劣化していたが、親しくなった人などを生き生きと話された。人はそんな大きな経験の前に、ひれ伏して何度も何度も回顧するのであろう。もっとたくさんの教育の場面での感動があったのであろうが、それらは一連のプロットを持って並べるのには、小さすぎたか、内容のバリエーションが大きすぎたのであろう。幾度となく使用されたスライドは再び、人の目に触れることはないのではないか。 

3月18日

 4年生のゼミの卒業旅行、3年生のゼミ旅行につきあった。共にさわやかな1泊旅行であった。もう1泊もすれば別れがたい雰囲気になったかも知れない。ゼミを運営するときにこういった旅行や、コンパは欠かせないものである。いろいろな側面を知っておくことが指導につながっていくと思うものの一人である。それに、ゼミという学習集団が緊密になっていくためには講義や個人指導だけでは不十分である。互いが思いやり、協力し、何より励まし合って研究に、論文に取り組んでほしい。自由にものが言い合える集団、気の置けない同志の愉快な集団、物事に真摯に取り組む集団、ゼミの理想ははるかにほど遠く、高いーーー。

3月16日

 結局高橋尚子はオリンピックのマラソンランナーに選ばれなかった。東京国際で失速したとき名古屋で走らないと無理かも知れないと思ったのであるが、結局走らなかった。そのうち実績があるから選ばれるに違いないという気持ちに自分を含め国民全部が傾いていった。名古屋国際の土佐は髪振り乱して逆転したとはいえ、2時間23分57秒の平凡な記録で、世界で通用するタイムではない。22分を切るようなタイムだったら、納得するのだがこれではアテネの女子マラソンには、まったく期待はかけられないというものではないか。多分、最高が12位くらいの惨敗に終わるような気がする。それほどマラソンなどの場合は場数をどれだけ踏んだか、どれくらいの実績があるかがオリンピックという大勝負を左右するものではないかと思う。高橋が選ばれなかったことで国民のアテネオリンピックへの関心は潮が引くようにぽっしゃっていくだろう。スターのいないレースは見たくないといって、皆テレビ放映にもそっぽを向くに違いない。陸連は誤った選択をしたのではないか。 

3月15日

 ロシアではプーチンが大統領選を圧倒的に征するようである。もと諜報部の長官が大統領になっているわけであるから、忸怩たるものがないわけでもない。しかし、この4年間でロシアの政治は安定し、治安は回復し、人々の生活が成り立つようになった。高いオイルマネーに支えられて、経済成長は年7%の伸びである。国民が等しくプーチンを選ぶ必然性があるというものだろう。国際的にもロシアはあらゆる面で名誉回復している。プーチンが独裁的で、帝国を作ろうとしているという批判があるが、口だけの共産党には人々が皆そっぽを向いているのである。4年間で見違える国に再生した手腕は理論ではない。プーチンはさらに強くなっていくだろう。政治とはこういうものだということをまざまざと見せてくれた。権勢欲は十分に満足したプーチンが、金銭欲さえ少しも出さずに、シンプルな清貧に甘んじるような生活人であったなら、彼の名は末代まで語り継がれ、ロシアの父としての道を歩むだろう。 

3月12日

 Kはなにも特別なことは言っていない。至極一般的なことを言ったのである。Sが言葉尻をとらえ大きな声を出す。みな一瞬凍り付いて、固唾をのむ。Kはこれも常識的なことで、切り抜けようとする、Sはさらに言葉を荒げる。しみじみとした会話はいつか死んで、空疎な、ニヒルな舌打ちが蕭々と続いていく。議論の場ではない。Kも議論を仕掛けるつもりは毛頭ない。ほぞをかむ思いで、成り行きを見守っている。ここからどこかへ飛翔できたらどんなに気持ちがいいだろう。ささくれだった心をむき出しにして、皆が何かに八つ当たりしようとする。すべてが済んで数時間後、Kへの喝采の拍手が起こる。前向きに心を合わせて、生産的にやっていく緒をつけるために、自分は何ができるだろう。敗北感と無力感が海のように広がっていく。 

3月11日

 白蓮が満開に咲いた。見事な白い花弁を見ていると心が洗われるようだ。沈丁花も盛りを迎えた。甘い香りが垣根を越えて道いっぱいに広がっている。今年の花の開花は7〜10日遅れたようである。環境保護団体が地球温暖化とさわがないからうれしい。4月から国立の冠をすて法人となる。学部でも、その陣容が決まった。新しい体制はどのように動いていくのだろうか。全体的に平均年齢の高い集団であるから、その中でも若い人の意見や、アイデアをどんどん取り入れていってほしい。臆することなく意見がいえて、実現の方向へ向けて現実に動いていくこと、その事によって構成員が達成感を感じていくこと、活発な生き生きとした集団で常にありたいものである。 

3月9日

 今年に入って読売新聞にスクープの文字が踊った。内容は牛深市民病院で医師の確保が難しく、医師を出している大学の医局に年間1千万円弱の金を研究費として寄付しているというものだった。社会正義のために不明朗な市の支出を糾弾するという。その後読売は、当該医局の医局長や教授、病院長などに盆暮れに付け届けをしているからけしからんとして、付け届けの内容や金額を暴露したといって悦に入っていた。何のことはない市民病院の経理簿を取り付けて公表したのである。この件を苦に、牛深市民病院の事務長が自殺した。話は変わって、鳥インフルエンザの通報が遅れた、インフルエンザと知っていて売り急ぐようなことを企てたとして、浅田農園の会長をマスメディアが糾弾した。テレビカメラの前で記者が汚い罵声を浴びせる、善良な市民団体(?)が告発する。見ていて記者や市民団体の連中は、果たして人だろうかと思っていた。そして昨日浅田会長夫妻は縊死した。マスメディアや市民団体と称する人たちは、社会悪を正しているといった風情で石を投げつける。己を見つめれば、マグダレアのマリアに石の礫は投げられないものをーーーー。

3月5日

 いくつかの相談を持ちかけられて、決してそれがおいそれといくものでもないので、じっくり考えようと布団の中に入ったり、床に寝そべったりしながら、整理してみるがいっこうにうまくいかない。相手のあることだし、それぞれの心理の部分を分析してもそれは所詮机上のことで、当人には受け入れがたいだろう。関係者の気持ちやいらだちもわかるのであるが、どうみても自分の心情ばかりを出していて、他のやり方があるということに気づこうとしない。別の見方を指摘しても、決して受け入れようとしない。話はどうどう巡りで、このままでは時間ばかりが経っていくことだろう。毎日をささくれ立って角つきあわせて生きていくことに、その愚かさに双方とも気づいてほしい。頭の中で考えてもどうにもならない、自分の性にも合っていない。行動しなければならないだろう。  

3月2日

 白梅や紅梅が満開である。あぜ道にははこべ草が茂り花を付けている。今日、おおいぬのふぐりの青い花を見つけた。春はまさに周囲に満ちあふれている。しかし、こぶしや白蓮の花は例年よりすこし遅れているようである。昨日、健康教育を3年かけてじっくりやりたいという人吉の企画で、講演を行った。単発でなく一連のものが呈示できるという企画にはぜひ協力したい。単発のものは単なるイベントに終わる可能性が強い。いい話を聞いたという感慨は残っても、それを自分の分野や実践につなげていく努力はなされないことが多いのではなかろうかと思っている。教育の方法論などはそれが実践されて始めて意味を持つものである。こんな場面で、こんな授業でこんなやり方でやってみられたら如何ですかという提案である自分の講演は、互いにじっくりと対峙することから芽が出てくると信じているのである。

3月1日

 N画廊のK氏がH、N氏の油と水彩を持ってきた。フランドール学派を忠実に再現したという油は精密な写真のようである。まったく興味がないと感想を述べた。たくさんの人に見せたが感想はほぼ同じようなものだったらしい。この時代写真のような絵画に金を払う人などいない。直に画廊の肥やしになりますよといっておいた。K氏もそうなるに違いないという危機感を露わにした。水彩の方はサインペンで輪郭を取って絵の具がおいてある。こどものお絵かきですね、がらくたにもなりませんといって引き取ってもらった。30〜40万円もの値が付いていた。ため息をつきながらK氏は退散していった。絵を選ぶというのはこういうことです。 

2月27日

 川はさらさらとながれている。この1週間ほどの気温は水を温ませただろうか。川辺のおびただしい紫陽花が一斉に芽吹いている。着飾った数名の老婆たちがはしゃぎながら通り過ぎる。小旅行にでも出かけるのだろう。紅を引き、ブーツやヒールを履き、濃紺のスカートにはスパンコールが光っていた。一方通行の橋にさしかかると、渋滞しているのにホンダの軽に乗った老婆がまた突っ込んできた。この人たちは道を譲るということを知らない。厚かましい生き方が微菌のように広がっていく。歩道から睨み付けたら、微笑んだではないか。収穫されないたくさんの黒い櫨の実をつけた木が、凛として立っている、ここまで来ると後一息である。2800メートルの道を35分かけて仕事場に着く。 

2月25日

 先週土曜日に体育学会の理事会に参加した。第54回大会の事後報告を終え、学会がすべて終了した。会長からねぎらいの言葉があった。足かけ3年、上京は13回に及んだ。理事会や総会で発言を求められ、その時点の進捗状況等について説明してきた。本部主導の色合いの濃い学会はこうして進められていく。それはそれとして一つの形であろう。年々学会員が減少し、10年前からすると1000人近く少なくなっている。会員減少に歯止めがかからない限り、この学会の未来は暗いように感じる。大きな学会に属し、発表し、同じ事をやっているもの同志手をつないでいく。社交の場としての学会参加も重要であった一頃とは考え方が違ってきたように思う。学会に属し、参加することでなんの裨益することがあるのか、それを強烈に示してやらない限り、学会員の減少が続いていくのだろう。 

2月23日

 Gはこどもの時過酷な運命にさらされた。Gが出生すると父は蒸発してしまったので、母と母の実家に帰ることになる。まだ若い母はGを連れて再婚する。その先には前妻の子が3人もいたのである、結局、母方の祖父母に育てられ、学校を終えるといろいろな職業を転々とする。今は妻と民芸品の創作をやっている。妻の父がやっていた仕事を継いでいるのである。過酷な子供時代があるので自分は子供を作らなかった。父となれば責任が重いというのである。それは彼の父や母に対する痛烈な批評のように思える。今、母は連れあいを亡くし、故郷で一人暮らしをやっている。義理の息子や娘は面倒を見ようとしないのである。Gを犠牲にしてまで育てたというのにである。今、Gは故郷に帰って年老いた母の生活を支えたいと思っている。妻が自分と母とどっちが大切かと迫っているらしいが、離婚をして帰ることになるだろうとGは寂しく笑った。

2月18日

 どこかでなつかしい声を聞いたような気がする。白々とした心情の中に、長いくらい夜がぽっかりと口を開け、いくらウイスキーを飲んでも酔いの快感は訪れない。どうしてこうも打ちのめされた気分になるのか本当のところはわかっていない。前向きの人格に囲まれて、一生懸命やったことが互いに評価され、日々の心地よい癒しになって、明日に向かうやる気が全身に漲ってくるような、そんな日常を予感しながら生きていくのは贅沢というものだろうか。人の誠意がそのままの形で、皆に受け入れられ、協力し、互いの任務を掛け値なしに全うすることを、互いが励まし合って遂行する、そんな関係性が普通のことだと思いながら日常を過ごしていく、それが常識ではないのだろうか。互いの人格同志は信頼が揺るぎないものであるということーーそういうふうに日常をやっていけたらどんなに幸せなのだろう。 

2月17日

 今期の芥川賞受賞作を読んだ。むさぼるように、一気に読んだ。20歳と19歳の女性が書いたという事が信じられないほど、ディテールがいいし、骨太の純文学の構成力が際だっている。申し分のない完成度である。そして、行間に書き手の皮膚感が伝わってくるほどにみずみずしい。数年前に平野氏の受賞作を掛け値なしにむさぼり読んだ記憶がある。息も切らずに熱病のように文章を読み進んでいく、そういった魅力をもった旬の文学に巡り会えたという幸福感でいっぱいになった。純文学は死んだといわれて久しい。しかし、今期の2作品は、真っ正面から文学する事の喜びを直に伝えてくれる。金原、綿矢氏の次の作品に期待したい。 

2月13日

 天頂に下弦の月がかかっている。透徹された朝方の白みの中に、こうこうと輝いている。暁にはまだ間がある。一片の雲もない、今日も快晴が約束されているのだろう。ここ数日、最低気温も零下2度止まりで朝の空気もさっぱりした清涼感をもたらす程度になっている。夕方も長くなって、雑草も芽吹いているところが多くなった。光が長くなったことで、植物が動き始めたのである。昼は高くなった太陽が照りつけ、全館スティームのはいった大学の研究室は、半袖で過ごせるほどになった。3限目の授業では学生たちが窓を開放し、コートを脱いで、腕をまくるものも現れた。こうして季節が巡っていく。光や太陽熱を直に感じながら季節の移り変わりを、5感で感じ取っていく。そのひとつひとつの営みがしなやかな感性を育んでいくに違いないと強く心に決めながら。

2月12日

Mは一部上場企業をリストラされて民間に移った。仕事の内容としては、資格を発揮するとという意味では同企業に属するのであるが規模も格段に違うし、長くプライドを持ってきてやってきたことが反映できないので、ストレスに日夜悩まされているという。日々自尊心が傷つけられているという状況では致し方のないことであろう。もっと自分の人格の部分で勝負できる仕事はないかと、あたってはいるのだけれど、長い企業人としての狭い部分での評価に甘んじてきた自分を解放できないでいる。サラリーでもない、成果でもない、何か人間らしい満足感がほしいという気持ちが聞いていて共感できるからつらい。50代の半ばにさしかかって、裸になるなどということは誰しもできることではない。そんな生き方をしているのがいないわけでもないのだが、その人のように、自分はプライドが捨てられないのだというMを半ば同情しながら話を聞いていた。 

2月10日

 今年も3年生主催で追い出しコンパをやるという案内が届いた。教官もいいことだからと例年参加するように勧めてきた。今年は卒業生が2倍になって、下級生の負担がかなりの額になっているという。前に、卒業生を1,2次会とも無料にせずある額負担してもらって、下級生の負担を軽くするように進言したのであるが、話し合いはもたれていないようである。卒業生に対するプレゼントもたくさんの金をかけるのはどうかと思う。卒業生にも立ち会ってもらって是非話し合ってほしい。昨年はイチゴの苗をプレゼントにしたのが半数はゼミ室で枯れ果てていた。1クラス43〜44名になると下級生が上級生をよく知らないのである。そんな関係性の中で追いコンだけを華々しくやることには疑問があるということだろう。下級生の中には不参加を表明するのも出てくることになろう。普段の関係性が濃密にあってこその卒業を祝う儀式であるべきだろう。今年は今年らしいコンパであってほしい。 

2月9日

 3月から九州新幹線が開業する。なんと鹿児島から八代まで、このことを他県の人は奇異に感じている。九州にいるものにとってもアホくさとしかいいようがない。新幹線を走らせても住民にとってはまったく苦難となる。在来線は普通便が1時間に一回走る程度、運賃も高くなるはずである。通学定期などは数倍に跳ね上がらざるを得ないだろう。なんのメリットもない。ではなぜ通すのか。結局巨大建設工事を持ってきたいのである。九州はもっと航空便を活用した方がいいだろう。そして今までのように特急便をたくさん走らせた方が住民にとってはメリットが大きい。いりもしない新幹線を走らせ、在来線は第3セクターとなって巨大な赤字を作っていく。何という無駄であろう。 

2月6日

 昨年度までライフスキルのワークショップを5回に渡って開いてきた。今年度は学会があったのでどうしても開くことができなかった。今までやってきた責任もあるし、もっと勉強したいという人たちもいるというニーズを強く感じ、今年の8月開くことで調整を計っている。今回は初回者を基礎的なワークショップにし、経験者は実際の授業を作っていくやり方でやってみたいと思っている。ずっと主体的に参加してもらってきたKYBのメンバーとの調整が暗礁に乗り上げている。現地スタッフとの調整をどうとるかどちらも立てながらいけるのか、———。一つのことを計画し実行するのには大変な困難があるものである。うまく乗り切れるのか、ささやかな勉強会に切り替えるのか、決断を迫られる期限がこの1〜2週までに訪れるだろう。 

2月5日

 久しぶりにMと飲んだ。Mは中学校の時から超常現象に凝っている。40数年も普通の人が馬鹿にすることをまじめに追い求めている。イラクで奥氏ら2人が殺されたのはCIAに依る犯行だという。アメリカが襲われた車を始め状況をつまびらかにしないのはその為だそうである。果たしてそうであろうか、考えてみれば全くのでっち上げとも思えない。さらにSARSは中国人だけを狙った欧州のある組織の陰謀だという。中国人の組織抗原に入り込むようにウイルスを改造しているのがその証拠だそうである。日本人に一人も感染者が出なかったのは、そのようにウイルスが作られていない結果だそうである。これも納得がいかないことはない。世界をこんな風に、歪曲してみるのも面白い視点ではある。しかし、普通は常識が邪魔をしてそんなうがった見方はしないものである。Mと話していると、よくこんな考え方を疑わないでいられるなとそんな風に考えてしまうのである。 

2月4日

 Sというパスタ店にいく。サラダとスープ、青がえる一匹分くらいの野菜をどうしてこうももったい付けて出すのだろう。田舎スープはどうしてメリハリがないのだろう、よく食えたものではある。パスタの湯で加減はアルデンテで申し分ない。問題は味である。もっとたかの爪を効かした方がいいのではないか、ニンニクの風味もあった方がいい、バージンオリーブ油の香りがほしい。なんとも湯の中のへみたいなパスタをおいしいという顔をして食べている客も味覚音痴なのだろう。自分の作ったものが百倍もおいしい。かくて年に1〜2回しか足が向かない。。味のわからない人の店なのである。 

2月3日

 Jは卒業まで7年かかった。途中退学したいというのでそれも自分で選択するのであれば仕方のないことだと賛成した。その時、両親が実家から飛んできて、生活を改めるべく食事付きの下宿屋に入れ、集中管理するという体制を取った。卒論も随分手こずったが卒業までこぎつけることができた。その後、宅急便のアルバイトなどをしながら遅蒔きの人生勉強を始めた。今は小学校などで講師を務めている。多分数年中には正規の教員の道を歩むだろう。Jを見ていると人間が変わっていくという実感を持つことができる。周囲への目配りが同年代のものより細やかに十分出きるようになった。自分の考えを控えめにいう事ができるようになった。信じるところを一心不乱にやって、他の人に好感をもたらすことができるようになった。そして何よりも周囲の人への感謝の心を持てるようになったのである。Jからの時折戴くメールを見ながら感じることである。 

2月2日

 寂しい時間が流れている。賑やかなことが好きだと思っていたのだが、本当は静かに寂しい雰囲気の中にいることの方がしっくりいくようである。明るいと思っていた性格も無理をして相手に合わそう等とは思わない人格であるということのようである。要件が途切れてしまうと話の緒が見つからずに沈黙していることの方が多い。べらべらと垂れ流し的に会話をするような風に育ってこなかったのだろう。エンターテインメントな心が欠如しているとでもいった方がいい。かくて、静かにテレビを見たり、本を読んだり、ピアノをたたいたりして過ごしている。時間の過ごし方はうまくなくて、もっとてきぱきと次に進めばいいものをと思ったりしている。考えなくてはならない命題も、後へ後へとぶりやってしまう。  

1月30日

 いくつもの難題や解決が無理なような課題があっても、余り躊躇せず進めていった方がいい場合が結構あるものである。そのところは白く残しておいて、見通しがついた時点で埋めていくようにするのである。最初からすべてうまくいくような企画などないと思って、前向きに取り組まない限り、新しいことなどできるはずもないではないか。苦しんだところは結構目玉になったりする。現有勢力でできなくて、他のところに解決を依頼したりすることもありうる。それはそれで、面白いものができたりするのである。完璧に詰めてやらないといって非難されたりするが、ルーズにしておいてうまくいくことも多いのである、長い経験の中で会得したことである。 

1月28日

 今、蝋梅の花が盛りである。黄色の凛とした花が見事に咲きそろっている。枝を剪定したものは花が大振りで見事である。幾本もの蝋梅を見ながらK大学に通った。十数年ぶりの非常勤を何とか一年やってきた。数名の学生が、一年間ありがとうございましたとお礼を述べて去っていった。淡々と教材を説明する無味乾燥に近い講義によくつきあってくれた。資格取得のための講義は要求されているものをこなすのに精一杯である。もっとおもしろい講義であれば良かったのにと思ってしまう。数十コマはおもしろいユニークな講義を持っているのにーー残念である。いろんな種類の講義をやっているものとしては、この授業でない講義であったなら、うんと実り多い収穫を与えられただろうという学生も多いのである。内容にメリハリをつけるということは、退屈で仕方のないような内容を要求している講義題については、それなりに淡々としたものにならざるを得ないのであると思っている。 

1月27日

 今年は暖冬でないから、結構寒くて雪も降ったりするから、温暖化の影響でしょうか暖かいですね等という言葉を露も聞かないのでうれしい。何かというと環境保護団体(環境テロ)の連中の喜びそうな事を言って喜んでいる人がいる。毎年の気温などというのは数百年のデータを見ながら慎重に判断した方が良さそうなのに、すぐに卑近な話題と結びつけたがる。朝のワイドショーのキャスターはしたり顔をしてイラク派遣の即時停止をあたかも善人のようにしていっている。女性のコメンテーターはほとんどオタンコナスばかりだが戦争は絶対反対などとほざいている。連中は皆政治のことはわからないのだから、タレントの誰と誰がつきあっているとか、別れたとか色恋沙汰ばかりを扱っておけばいいものを。本当に虫ずが奔るというものである。イラク派遣はいよいよ本隊の派遣命令が出て日本は国際社会の一国としての第一歩を踏み出すことになる。 

1月26日

 日曜日昼前から発熱してずっと伏せている状態であった。37度から次第に上がっていき39度を超える頃には、身も世もないという風に全身倦怠感にさいなまれていた。熱が出るのは稀であるからいったん出ると打ちのめされたようになってしまう。水分だけを取りながら、横になってうつらうつらとしている。何もやる気がないのである。考えることも、テレビを見たりすることも放棄して、具合が悪いからだになんとか精気が戻ってこないかと思案している。頚部を冷やしたり、下肢から放熱を試みるけれど少しも熱が下がらない。少し鼻が詰まるくらいの症状しかないのに、どこから発熱しているかがわからない。解熱剤は飲みたくないなと思いながらひたすら絶えているのである 

1月22日

 昨日から今年最大の寒波が押し寄せてきて、小雪がちらつく。1時間目の授業は悲惨でだらだらと入ってくる。30分40分遅れはざらで、1時間近くも遅れて悪ぶれることもない。どういう神経の持ち主だろう。こんなに遅れては教官にも申し訳が立たない、潔く休んで判定をまとうという心根の正直なものは概して単位が取れない。臆面もなく生き恥さらしながら日々を過ごすものが単位を取っていく図式がある。吐き気がするというものである、こんな学生が一定の割合は必ずいる。社会に出ても迷惑をかけていくことであろう。 

1月20日

自衛隊の先遣隊がイラクのサマーワに到着した。世界のテレビはおおむね第一報で伝えている。イラク復興に対する、資金援助と人的援助が両輪となってなされていく。日本もやっと一人前になったかという思いである。この場に至っても平和平和の大合唱は止まない。戦争にでも出かけると勘違いしている節がある。危ない所には近ずかない、紛争は見ない、寄りつかない、血は流さない、血はアメリカや他の国の軍隊が流せばよい、敗戦国として後生大事に憲法の旗の身元にうずくまって、平和だ平和だといっている、誰がその平和のバリアーを立ててくれているのかも知ろうとしない、原爆の投下を受けた被害者だから、平和を叫び続ければいい、戦争反対、絶対反対、人が死ぬんですよ、命の重さをなんと考えているのですか、終生戦争放棄をしているのですよ、この憲法に寄り添うことが将来的に高価になること請け合いですよ、戦争は反対、まだ治安が維持されていないところには、他の国がいくべきです、何せ日本は戦争放棄しているんですから、他国が治安に完全に成功したときおそるおそる文民を出して、いや自衛隊など出すべきではないんです、災害の時だけ自衛隊は頑張ることこそ使命なのですーーーーーーくたばれ。 

1月19日

 NHKの大河ドラマを三谷孝喜が書くというので見ることにした。2回が終わった時点ではまあまあという感じである。映像で見せるというより、舞台のせりふ劇さながらに、よくしゃべる登場人物がせりふの押収である。これもありかということで退屈しなければ見ることにしたい。再放送が多いから何とか見られるのである。少々滑稽でリアリィティがない部分もあるが三谷が書いているということで寛容なのである。贔屓目というのだろう。大河ドラマを丁寧に見るなどということは訪れないかと思っていたが、いろいろなことが起こるのである。小さな楽しみが増えたという思いである。 

1月16日

 コーラス部の初代OB会長のK氏がお亡くなりになった。59年前に部が発足したときの創立メンバーである。文字通り五高時代の最後の学生である。36、7年前現役の時何度かお宅をお邪魔したことがあった。先輩数名といったときのことである。先輩のTさんは時々大きな事を言った。皮肉屋でもあったので、飲んで酒が回ったのだろうか、K氏はTさんをげんこつで思いっきり殴られた。いつも勢いのいいTさんが涙をためて、K氏の話を神妙に聞いていた。先輩と後輩の関係は礼儀を尽くせという事だったのだろう。K氏は自分には「木村、お前は、何事にも丁寧すぎる、もっと気遣いせずにばりばりやれ。」といわれた。感情を繕うことなくダイレクトに表現し、それを言葉にも態度にも示すように諭されたのだと思う。K氏のこの言葉はどうかすると直接表現することを避けようとする自分をいつも背中から押す教訓になった。K氏からの今年の賀状は20首近くの最近詠まれた俳句が書き連ねてあった。ご冥福をお祈りします。 

1月15日

 垂れ込めた厚い雲の間から幾条かの光の帯が見える。朝の光で若々しく強い輝きがある。この上を飛行機で飛んでいたら、多分見渡す限り白く光る雲海で所々に雲の切れ間があるのだろう。下界から見る風景もその上の光景と一続きになって、つまらない気象の一つになった。随分昔は天上からの後光のようにみえ、神々しい気分に支配されることもあったのだろうか。歳を経ていくということは、神秘さなどから解放されることでもあるのだろうか。生命の神秘などと解説されても少しも心は動かない。ホラー映画もばかばかしくて退屈だ、透視やダウジングもまやかしやトリックに違いない。先人たちは処女受胎や、復活などを心から信じていたのだろうか。そんなことはない、マリア受胎はレイプであって、復活などは後の人がしくんだフィクションであることは多くの人が感じていたのであろう。

1月14日

 両側の嚢胞腎があって20代の後半から腎性の高血圧に悩まされてきた。その時分から降圧剤を飲むようにいわれ、ほぼ30年飲み続けている。降圧剤の副作用で尿酸の代謝が悪くなって年に数回、痛風発作が起きるようになった。どちらかの足指から足関節にかけて腫れて痛む。そのサインが来たらすぐに特効薬のコルヒチンをたくさん飲む。どうにか1日で発作を封じ込めるためである。コルヒチンを飲むと吐き気がして、水用便になる。これが大変つらいのである。何とか歩行できるような状態に持っていくためには致し方のないことである。決して体調がいいとはいえず、熱感が身体全体を襲っている。ああ、仕事を休みたいナーと思う。しかし、そうもできない、なんとか頑張って仕事をこなす、次の仕事に移る継ぎ目に、大きい吐息を何度もはいている。気楽に休めない自分に腹が立っているのかも知れない。この状態を乗り越えれば、果たして達成感があるのだろうかと評価をしている、いぶかっている自分がいるのである。 

1月13日

 土曜日に卒業生の人前結婚式に参列した。3時間半を越える長丁場だったが、至る所に新郎新婦の心遣いがあってさわやかな式であった。2次会にも参加したがこちらも50人を越す盛況ぶりで友人を中心に新郎新婦がゆっくり語り合う時間と場所が設定され、初めてみる新婦の人間性が直に感じられるものであった。手作りの結婚式をやれる行動力は頼もしく感じられる。結婚式、披露宴は、ともすると商業主義に押し流されて形式ばかりになってしまうものである。出席者も多様であるから皆に喜ばれる事は不可能かも知れない、できるだけ多くの人に新郎新婦の人となりを感じさせるような演出も決して無理だとはいえないのである。最初から飲み物は焼酎で長い時間なだけに好きな人はべろんべろんになっていた。

1月9日

 結局BSEに対する日本とアメリカの見解の違いは文化の違いであるのだろう。BSEの発見前に発注されたアメリカの数十億円分の牛肉は太平洋をさまよっているという。話は違うが、加工食品なども賞味期限が過ぎると神経質になって捨てたりする人が多い。臭いをかいだり、状態をよく観察したり、一寸食してみたりしながら、自分で判断することがない。ただドキュメントに踊らされているだけなのである。この光景も日本人には典型的に当てはまる行為である。逆に賞味期限内に食べたのにどうして食中毒になったのか等という攻撃はすごいものがある。ある店では卵豆腐を西日の当たる場所に陳列していた。一寸食べてみたところおかしかったが、賞味期限内なので我慢して食べて、食中毒を起こしていたことがあった。人はもう自分の5感など信じられないのである。何か起こったら何が何でも他人のせいにして慰謝料でもふんだくらなければという人があまりに多いのである。

1月8日

 BSEに対する日本の態度は常軌を逸しているとしかいいようがない。アメリカで1頭発生すると加工品まで含めて牛肉の輸入を完全にストップしてしまった。平和呆けとならんで、異常な潔癖主義とでもいおうか、安全に対するヒステリとでもいった方がいい。元々プリオンは脳、脊髄、眼球、回腸末端部にしか存在しないしその部分を食しなければ危険とは考えられないのである。狂牛病と変異クロイツフェルトヤコブ病との関連もはっきりしたとは言えないのに、食肉牛のBSEの全頭検査を実施し始めた。日本の牛肉は完全に安全だと、他国では考えられない検査態勢をつくって喜んでいる。これはもう異常といわざるを得ないではないか。そして、もし、やりすぎですよなどといおうものなら袋叩きにされるに決まっている。こんな国には住みたくないナー、でも当分他にいくところはない。

1月7日

 どこまでもなめらかな道が続いている。曲がり角には、父や母や祖母や、大叔母が微笑んでいる。無心にかわいがってくれたときの笑顔一杯に、手招きしているようにも見える。言葉をかけようとするが話すことはできないらしい。あるいは大きな海原のここかしこに、小舟に乗ってゆらゆらと揺れているようにも見えるがさだかでない。みんな仏様になった方々だよという声が聞こえる。ふっと、自分は50の半ば過ぎても無神論者で、仏様や、神様とは無縁です。と恥じらいながらいっている。神の存在などくそくらえだと嘯いている自分の半身が見えたようにも感じる。ある寝付かれない夜に、祖母がやっていたように南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と2,3度唱えながら、決して神頼みなどしているのではなくて、ただリズムを取っているだけで、信仰など死ぬまで持つものかと、カッと目を見開いている自分が、実存だけを信じる自分がそこにいる。

1月5日

 今年はまだ初詣を済ましていない。その内に行こうと思っているのだがそれが果たせない。小泉首相は靖国神社も伊勢神宮も参拝したというのに。神社に参拝するというのはまずその心がけがないとダメなのであろう。永久戦犯を祀っているというので靖国神社詣ではいつも問題になるが、死んだら神の国へ行って等しくあがめられているとする日本的な感情の発露であって、靖国詣でをしたからといって太平洋戦争を肯定しているものはいないであろう。中国や韓国のニュースを見ているとその部分が滑稽である。日本への恨み忘れまじとする記念館などもたくさん作っていて、小さいときから残虐の限りを尽くしてきた日本人として教育しているのを見ると自省の念はないのだろうかと思う。しかし、残虐者としての日本人は若い世代の心の中には入っていかないようである、その事もまたおもしろいことではある。中国や韓国で古い世代が日本を恨み抜く意志を若い世代に持たせようとしてもなしのつぶてなのである。私としては、第2時大戦で散った人々を敬うという行為は60代の前半である首相だからやれることで、尊敬する人格であると思っている。

1月1日

明けましておめでとうございます。

昨年はページにアクセスいただきましてありがとうございました。

今年も、日々日常を綴っていきますので、よろしくお願いいたします。

 今日の元旦は熊本では穏やかな快晴の日を迎えております。たぶん、初詣もごった返していることでしょう。私は少し遅れてお参りに行こうと思います。通りを行き交う人も車もまばらで、家でゆっくり新年を言祝いでいるのでしょうか。今年もまた激動の一年になるのでしょうか。穏やかで平和で何も起こらない一年より生き甲斐があるというものです。めまぐるしい社会に身を委ね、とことんつきあって力を出し尽くす一年になったらとおもっています。穏やかな楽隠居のような気の抜けた一年は大嫌いで軽蔑します。